こんにちは☀
西オーストラリア州で兼業農家をしております、ナイーブMEです👩🌾
ここ最近、動物の命に対するツイートやら小話を聞いてモヤモヤしたりスッキリしたりと色んな感情が湧いていたので、一気に吐き出そうと思い記事にしました。
ヤギ農家としてしていること
私は現在ヤギを約150匹飼っているヤギ農家です。
このヤギは食肉用で、うちの場合は15kgを超えたオスは売りに出すか我が家で食べちゃいます。
基本的にメスは売らずに飼い続けて繁殖させますが、ある程度年をとったら売りに出します。
病気や怪我で死んでしまったヤギは土に埋めてその上に果樹を植えたり、池に沈めて魚や微生物の餌にしています。
私はヤギ農家になって6年ですが旦那氏は15年ほどヤギ農家をやっており、私はまだまだ学ぶことが多いです。
旦那氏がいつも言っているのは『We have to be kind to animals.』これは、『動物には親切に』ということです。
この親切というのは可愛がるというよりは、心地よく生活できるように環境を整えることを指します。
十分な食べ物やキレイな飲水、体調管理、安全・衛生的で十分な行動範囲の確保などを人間の都合や好みではなく、動物にとって心地良いように整えることです。
そのため、どんなに悪天候でも自分の体調が悪くても、動物に必要なものが欠けていればそれを補うのが飼い主としての責任というもの。そんな最悪なコンディションのときに何かをしなくてもいいように、普段から手入れをしておくというのが理想です。
私たちはヤギ以外の動物も飼っているので、それらの環境整備が私たちの毎日の生活なのです。
命を育ててそれを売る商売をしている者として、その命が無駄なく美味しく消費されて欲しいというのが願いです。
動物の役割
うちでは他に鶏やガチョウ、キンカチョウ、アルパカを飼っています。
これらのほとんどはペットではなく、それぞれには役割があります。
鶏は卵を産んでくれ、雄鶏は鶏肉として捌いて食べ、雌鳥も年をとったら世代交代の際には捌いて食べたり、狐の毒撒きの餌に使ったりします。有精卵がたくさんあるときは、売りに出すこともあります。
ガチョウは芝刈り役であり、またキツネが来たときに攻撃的に反撃します。少し残酷かもしれませんが、ヤギを守るための最前線なのです。
キンカチョウは無農薬栽培の一環の虫食い役として飼いましたが、彼らが野菜を食べてしまう事態に。ということで役立たずで、現在は定期的にペットショップなどに売っています。餌代がかかるので早く全て売り払いたいのですが、繁殖力が強くてなかなかです。自然に放てばいいと思われるかもしれませんが、自然の中では生きていけないだろうし、この環境にはいない鳥なので生態系を崩すようなことはできません。
アルパカは子ヤギのガードとして飼っていますが、ここ最近はアルパカだけでつるむようになりました。原因は数が多いことだと思われるので、数を減らすことに。
売るには毛刈りをして身なりを整えないといけませんが、我が家のはペットとして手懐けていなかったので毛刈りをすることがとても難しく、この困難をしてまで売ったとしてもその時間と労力を考えると儲けがないので自分たちで食べることにしました。
私はもちろん、旦那氏にとっても初めてのアルパカ捌きでしたが、ネットで調べたりして何とかできました。屠殺したあとですが毛も刈って、それは売ることができました。
肉の感想については長くなりそうなので別記事にて紹介します。
このようにうちの動物たちには役割があり、役目を終えたあともその命をできるだけ無駄なく使うというのが私と旦那氏が考える『命をいただく』ということです。
ペットを否定しているわけではありません。私にも鶏のチカドゥーとガチョウのゴズリングズというペットがいます。
ペットを飼っている人ならば分かると思いますが、彼らは癒しであり家族の一員です。
私のペットは家の中で飼えるものではないので外で他の動物たちと生活していますが、やはり特別にかわいく毎日話しかける存在です。
彼らを食べようとは思えませんし、彼らが死ねばお墓を作って泣くでしょう。
だって、家族なんだもん。
できるだけ自然の中で
私たちが動物を飼ううえでのモットーはできるだけ自然の中で育てる(フリーレンジ)ということです。
我が家は800ヘクタールという敷地なので、それ全てを徘徊されては管理ができないのでフェンスを張って行動範囲は制限していますが、十分なスペースを確保しています。
ニワトリに関しては年中夜間だけは小屋に入れてキツネから守り、ガチョウは産卵シーズンのみ目の届くように家に近い小さめのエリアへ移動させます。
キンカチョウは8m四方で高さ2mの鳥小屋の中に家庭菜園や芝がある環境で生活しています。
動物の子育て
また、動物の子育てに関してもできるだけ親に自然な形で育てて欲しいので、私たちが手伝うのは最小限です。人間が手を貸しすぎることで、母ヤギは子ヤギを拒むようになってしまいます。そのため、母ヤギにさせるのが基本です。
将来ペットとして飼われる動物ならば人間が育てて手懐けた方がいいでしょうが、うちのヤギは家畜です。
今年5月には、みなしごヤギを仕方なくペットにして育てましたが、あまりの大変さと将来的に問題しか起こらないという状況を考えて最終的には売り払いました。
鶏やガチョウの卵は季節によっては孵化器で孵し、その場合は集団に戻せるまでの3,4ヶ月は私が責任を持って育てています。
これらがヤギ農家としてしていることや動物に対する思いですが、おそらく世間の家畜農家も同じような感覚だと思います。
敷地面積や整備器具などの差があるのでできることの違いはあるかと思いますが、絶対的に共通しているのは命を育ててそれを売る商売をしている者として、その命が無駄なく美味しく消費されて欲しいという願いだと思います。
ここまでの長々と書いた前提ありきで、ここ最近見たり聞いたりしたことでモヤモヤしていたこと、そしてスッキリさせてくれたことがあったのでここで吐きます。
モヤモヤしていたこと
先日我が家に泊まっていた人の体験談で、車を運転しているときに通りかかったファームで一匹の子羊がカラスから攻撃されていて瀕死状態だったところを助けたという話を聞きました。
その子羊は独りぼっちでフェンスの近くにいたので、彼女は車を止めて手を伸ばして拾い上げそのまま車に乗せて帰り、看病してその子羊は元気になったということです。その後引っ越しの際には連れて行けず、誰かに引き取ってもらったらしいです。
彼女はその話を誇らしげに話していましたが、私からしたらそれって窃盗じゃないの???という疑問が。
彼女いわく子羊は瀕死状態だったらしいですがその程度も不明だし、もしかしたら親が戻ってくるかもしれない、そもそも人の土地の中の所有物を勝手に持って行くって泥棒です。
その数日後に、偶然にも似たような話をツイッターで見ました。そこでもそれが美談のように語られており、そのモヤモヤは更に増していきました。
というのも、私の身近なところで不幸な事例があるのです。
この田舎地域に引っ越してきたばかりの移民夫婦が道路を運転していると、隣のファームのフェンスの網目をかいくぐって出てきた双子の子羊を道路脇で見つけて、それを拾って車に乗せて飼い主へ届けました。
一見親切な行動のように思われますが、実はこれはやってはいけないこと。
母羊は奪われた子羊を受け入れなくなってしまったのです。
飼い主は何百匹と羊を飼う羊農家ですが、人工哺乳をするほど手間のかかることはありません。羊を搾乳するのは牛とはわけが違いますし、粉ミルクにすればコストもかなりかかります。
そこで飼い主はどういうことが起きるのかということを伝えるために、その双子の子羊を届けてくれた夫婦にたくしたのです。子羊を受け取った夫婦は夜間も交代で授乳をし、できる限りのことはしましたが二匹とも死んでしまいました。
この羊農家と夫婦は隣人であり今ではよき友だちですが、羊農家はファームライフというものをよく知らないこの夫婦に子羊の命をもって教えたのです。
では、夫婦はどうすればよかったのか。
ほとんどの場合は子羊は元来た道をたどって戻るか、母羊が探しに来るはずです。
私だったら母子関係を信じて放置します。もし道路の真ん中まで出ているようならば、手早く拾ってフェンスの中に放り込みます。
最初の瀕死状態の子羊の話を含めても、動物愛護の観点で考えたら助けないだなんて残酷なのかもしれませんが、家畜農家としてはやり方があるので余計なことはしてほしくないというのが正直なところです。
こういうことを言うと、過剰な動物愛護精神者や過激ヴィーガンから口撃されるんだろうなと思いながら、ツイッターの140文字に落とし込むこともできないと諦めて、一人モヤモヤしていたのです。
また、日頃からたまに目にする家畜農家への過激派からの批判コメントなどを見かけても、実態を知らないくせに!と胸糞悪くなってしまいます。
スッキリしたこと
このモヤモヤの翌週だったか、とてもスッキリしたツイートを発見!
7ケ月間ミートファクトリーで働いてきて、牛肉について思うことを書きました!いきなり敬語からタメ口に変わったりしてるし、用語微妙なところありますが気にしないで貰えるとありがたいです!
— 姉やん🇦🇺 (@asu_inAUS) 2021年7月15日
意見とか批判とか何でもいいのでコメント頂けると嬉しいです😆絵は下手です〜 pic.twitter.com/sRVUrhGlMx
オーストラリアの精肉工場で働いた日本人女性が、実際に見て体験したことが分かりやすく描かれています。
こちらを描いた姉やんさんに、ツイッターをやっていない人でも見られるように画像を載せたいと申し出たところ、ご丁寧に画像を提供していただきました。
また、追加情報としては牛の喉を切る前にはこちらの装置を使っているそうです。
すいません。補足です。
— 姉やん🇦🇺 (@asu_inAUS) 2021年7月16日
牛の喉を切る前に、スタンニング(ノッキング)と言って牛を気絶させる行為があります。それをすることで牛が苦しまずに死ぬことができます。
また骸骨を損傷してしまってもハラールにはなりません。
工場ではこんな感じのを使用していました。 pic.twitter.com/N4JHZZg8F2
この漫画の前半にはなぜ牛を食べることが動物保護や環境面で悪と言われるのか、後半にはミートファクトリー(精肉工場)の仕事の様子や福利厚生について描かれています。
詳しくは漫画を読んでそれぞれに感じて欲しいのですが、私はこれを読んだときにそう!そういうことなのよ!!とスッキリしたのです。
世の中には頭ごなしに動物が可哀想だの、残酷だの言う人がいることは分かっていますが、そんな人たちはさておき、この漫画を読み終えたときに思ったのが、皆それぞれの仕事を全うしているのだということでした。
上手く言えませんが、自分ができない・したくない・興味のない分野を誰かがやってくれていることで世の中は回っているのだと。
私が家畜農家であり、姉やんさんのツイートがミートファクトリーだったこともあり『動物の命の扱い』に焦点を当てがちですが、別にそれに限った話をしているのではありません。
私がこうやって田舎で電気も携帯も使って便利に生活できているのは、どこかで誰かが提供してくれているから。たまに町へ行くときに使う公衆トイレがいつも綺麗なのは誰かが掃除してくれているから。道中もよく道路工事を見かけますが、雨の中でも作業を続行し私たちの安全を確保してくれる人がいます。お店で気持ちよく買い物できるのは店員の努力であり、その品物を並べる人、仕入れる人、製造した人など私にはできないことをしてくれている人がいるから今のように生活できているわけです。
それぞれの仕事場で最善を尽くしてもらっているわけなので、状況を詳しく知らない外の人間が一方的に批判するものではないと思います。
もちろん世の中の全ての仕事がフェアであるわけではありません。動物に関して言うならば劣悪環境での飼育や暴力的虐待などがありますが、それを家畜農家全体という括りにして批判しないでください。
あなたの見た一面は全体像を捉えていますか?
どういう状況で何のためにその行為が行われているのか分かって批判していますか?
自分の仕事をよくわかっていない人が一部だけを見て批判してきたらどう感じますか??
イラッ💢としますよね。
まずは他の仕事をしてくれている人に対して感謝の気持ちを持つことが大事だと改めて思わせてくれたツイートでした。
世の中には私の知らないことがたくさんあります。
事実を知って何を買うのか、食べるのか、使うのか決めるのは自分です。
姉やんさんの漫画にもありますが、私も決してヴィーガンを否定しているわけではありません。
この世の中、全員一致の回答なんて存在しません。だからこそ、各自の判断が大切なんだと思います。
だらだらと長くなりまとまりがありませんが、以上がここ最近モヤモヤしたりスッキリしたりしていたことでした。
4日間くらいかけてここまで書いていますが、これ以上はうまくまとまらない気がするのでこれにて終了します。
とりあえず吐き出せてスッキリしました!
また近々、アルパカ肉について紹介しますね♪