こんにちは🌞
西オーストラリア州で兼業農家をしております、ナイーブMEです👩🌾
過去に怪我や病気はあっても救急車には乗ったことがなかった旦那氏ですが、先日デビューしてしまいました。
この土地で救急車を呼ぶ、そして適切な処置を受けるということがいかに難しいか。それが今回の経験でよく分かりました。
今回で分かった、こんな僻地のファームで緊急事態が起きることの大変さの記録をここに残そうと思います。
私の住んでいる所とは
まず、私がどんな田舎に暮らしているか。
州都パースから500km離れ、最寄り地方都市Albanyまで150km、住所のある町の人口91人・隣町人口424人(2021年国勢調査より)というエリアで暮らしています。
穀物と家畜の混合農家さんが多く住むエリアで、我が家は敷地面積800ha(東京ディズニーランド16個分)に旦那氏とふたりきりで、コーギー2匹とヤギ400匹と鶏などなどの世話をしています。
私の住む町の中心部には商店を併設しているガソリンスタンドと消防団の倉庫、フットボール場しかありません。住宅は5軒しかなく、学校も交番も公園も公衆トイレさえもありません。
そんな町周辺の医療機関はというと、もちろんこの町には皆無で、60km先の隣町には看護師が常駐していますが医師は週一回の訪問のみ。その他周辺の町も似たり寄ったりで、ちゃんとした診察や治療・検査をするときは150km先のAlbanyに行かないといけません。
うちから救急車を呼ぶと
こんな町に住んでいて救急車を呼ぶと大変なことは想像がつくかと思いますが、現実は私の想像の上を超えていました。
オーストラリアでは緊急時はダイヤル000にかけて、そこで救急車・パトカー・消防車を選んで話が進んでいきます。
今回は旦那氏がスマホを解除できないほど震えていたので私がダイヤルしましたが、意識はしっかりあったので喋ったのは旦那氏です。
私は横で旦那氏の体をさすっていましたが、本部から支部へ連絡を繋いでいるときに、旦那氏からファームのゲートを開けてくるように言われて現場を去らざるを得ませんでした。
なぜなら、うちは家からゲートまでが2km離れており、そのゲートは来客があると分かっているとき以外はロックしているのです。この日はロックしていたので、救急車がすぐに到着できるように、ゲートを開ける必要があったのです。
バギーをぶっ飛ばしても往復10分近くかかるので、その間に旦那氏が倒れていたらどうしようと不安でしたが、行かないと救急車が家まで到着できないというジレンマ。
猛ダッシュで行って帰ってくると、旦那氏はまだ震えながら電話していました。話している相手は医者なようで症状について話していますが、電話では震えの様子がちゃんと伝わっていない感じでした。
そこで私はあとからちゃんと説明できるようにと、その震えの様子をスマホで撮影しておきました。
救急車到着まで1時間かかると言われ、それまでに急変したらまた電話するようにと言われ電話が終わりました。
ここで1時間も待つのかという絶望感。
自分で車を飛ばして病院へ行くことも可能でしたが、この状況で私が冷静に150km運転できるか、時刻は17時で暗くなってきているのでカンガルーが飛び出してくる可能性が高い、帰りの夜道運転なんて超危険、じゃあ泊まるとしてもどこに?、犬たちは?、子ヤギの朝昼晩の授乳だってある・・・という課題があります。
つまり、私が救急車に同伴することさえ難しい状況。行けたとしても、準備に1時間では逆に時間が足りない。
そうこう考えているうちに旦那氏の震えがおさまり、トイレに駆け込んで吐いたと思えば、次は寒いと言い始めました。熱を測ると39.9℃。
とりあえず入院になることは確実なので、カバンに数日分の着替えを入れて準備をしました。
旦那氏自体はしんどいながらも落ち着いており、私も救急車を待つ覚悟が決まりました。
到着予定時刻まであと20分というところで旦那氏が、一般道まで出て待機しようと言い始めました。
というのも、我が家からゲートまでは2kmですが、そのゲートから一般道までは更に1kmあってちょっとややこしいのです。迷子になんてなられたら大変ですし、道中は携帯圏外なので連絡の付き用もなくなってしまったら困るのです。
そして一般道まで出て待つこと15分。ついに、待ち焦がれた救急車が到着!
田舎の救急車とは
私の予備知識としては、救急隊員は訓練された地元ボランティアであるということくらい。
実際に到着した救急車にはもちろんボランティアっぽい人が乗っていました。男性1名と女性1名。
この頃には旦那氏もだいぶ落ち着いており、男性隊員が『How's going?』と、ザ・田舎のオージー全開で聞いてきました。
緊急やから救急車呼んだんやん!と思っていたら、旦那氏も適当なジョークを交えながら答えているではないですか。
その後も超リラックスモードでゆっくりと血圧やら何やらと調べられていましたが、そんなことは行きの車内でやって早く病院目指してよ!と思っていました。
しかも、これから隣町の看護師の元へ向かうと言うではないですか。いやいやいやいや、今は見た目は大丈夫かもしれないけど、尋常じゃない震え20分が2回も起きたんやし、絶対そのまま病院直行でしょ!という言葉をグッと飲んで、『直接病院に向かわないの?』とだけ聞くと、ボランティア隊員は『とりあえず看護師の元に向かわないといけない』と言って、病院のあるAlbanyとは真逆の隣町の看護師の元へ向かってしまいました。
私はファームのことがあるので同伴できませんでしたが、ここで私と旦那氏は離れ離れになったということです。
私としては旦那氏があまりにも大丈夫な様子を装っていたからこんなことになってしまったんだと思い、退院してからその話をしましたが、旦那氏からすると相手はボランティア隊員なのでパニクらせても状況が悪くなるだけだと判断して、できるだけ平静を装ったとのこと。
病人なのに相手に気遣うだなんて、私には出来ないわ・・・
そして、ボランティア隊員には病院送りへする権限がなく、その判断は看護師がしなければならないので、わざわざ隣町の看護師の元へ行ったということです。
ここからの話は旦那氏からの伝聞になります。
看護師の元に着くも・・・
000に電話をしたのが17時前
救急車到着18:15で10分後に出発
隣町の看護師の元へ到着19時
看護師は地元民ではなく、僻地ナースといって僻地を転々と移動しまくっている看護師です。旦那氏の親族にも僻地ナースがいますが、彼女の話によると一人で何でもできないといけないので責任重大、そしてカジュアルポジョン(正規採用ではない)なので給料がめちゃくちゃいいそうです。
つまりは皆さんが想像するような、地元の人に愛されている顔馴染みの看護師というわけではありません。言い方が悪いですが、アタリハズレがあります。
そして今回の看護師はハズレ。
大したことないという感じで真剣に話を聞いてくれず、なにか薬を投与しようとするので旦那氏がペニシリンアレルギー持ちだと言うと、みんなそう言うだけでほとんどの人はそうではないと遮ってきたり、旦那氏の震える動画を見せようとしても見てくれず。
そうこうしているうちに旦那氏の様子が段々悪くなってくると、ボランティア隊員の方から病院に連れて行くべきだと言い始める始末。
最終的にはオンラインで医者とのやり取りがあり、医者が病院に連れて行けと言ってくれて病院行きが決まりました。
カメラ越しに医者に感謝を述べた旦那氏ですが、カメラを切ったあと看護師に『現場であなたの相手をしているのは私なんだから、感謝すべき相手を間違っている』とまで言われたらしい。
ここでのやり取りが1時間以上あって、ここから病院へ向かったのは20時半過ぎのこと。2回目の痙攣が起きて救急車を呼び始めてから3時間以上が経過。
このときの私は何が起きているのか知らされることなく、ただひたすら旦那氏からの連絡を待つだけ。なんなら車で30分くらいの距離なので行ってみようかとも思いましたが、ひとり夜道運転でカンガルーでもぶつかってきたら洒落にならないので大人しく待つことに。
20時を回っても連絡がないので、町に住む知人に様子を見に行ってもらおうかと思っていた矢先、20時40分に『Albanyへ向かっている』とだけのメッセージがきました。
この次に連絡が来たのが深夜3時半ですが、とにかく救急車の扉が閉まってから何が起きていたのかなんて知る由もありませんでした。
救急車が出発するも・・・
ようやく念願の病院へ行けるとわかった旦那氏はホッとしたようですが、その後からも悲劇は続きます。
まず、救急車はガタガタで移動中は全く心地よくなかったそう。
そして、なんと途中で乗り継ぎをしないといけなくて、病院から35km手前の町で待機。しかも40分。
この待機時間に心拍が190まで上がり、脈があるかないかくらい弱く、発熱40.5℃となり意識が朦朧としてきて、このときにこのまま死ぬかもと思ったらしいです。
そしてようやく救急車が到着し、乗り継いで本物の病院に到着。
このとき既に23時を回っていたらしいです。
普段ならば2時間あれば着く街ですが、救急車なのに2時間半かかったのです。
やっとこさの病院にて
救急車を呼んでから6時間後に病院に到着。
日曜の夜ということもあってか、救急部門はがらがらで貸切状態みたいな感じで、かなり手厚く診てもらえたようです。
しかし、ここからも大変続きの旦那氏。
心拍が速いのに脈が弱い状態と高熱が続き、この原因がなかなか分からなかったそうです。
早くに盲腸(虫垂炎)を疑った医者もいたそうですが、スキャンしてもあるべきところになかったので、既に盲腸を患って摘出済みだと思われていたそうです。
そしてようやく深夜3時過ぎに、あるべきでないところに超悪化した盲腸(虫垂)が見つかり、翌朝手術というはこびになりました。
ここで救急車で別れた旦那氏から初めて電話があり(午前3時半)、盲腸であること、翌朝に手術することだけを聞かされました。
次に連絡がきたのが午前11時。『手術は成功し2日間は入院しないといけない。一般病棟に移るまでは電話できないけど、携帯の充電が半分しかないから連絡なくても心配しないで。』というメッセージでした。
これを受けて『今日は月曜だから早くても水曜退院かぁ。家の食料も切れてきたしお迎え時に買い物行かないと。半日仕事やから犬は近所の人にでもお願いしようかな。』なんて思っていました。
そしたらなんと、脅威の回復力で火曜の早朝には一般病棟へ移動し、移動後の診察ではここにとどまる必要がないと医者に言われて火曜の午後退院となりました。
その急な展開に、お迎えには犬を連れて行かざるをえませんでしたが、これにて家族皆で旦那氏をお迎えできました。
こんな感じで、ここでの暮らしだと救急車を呼んでから到着するまでにも色んな難関があり、到着してからもすんなり病院へ行けることもないということが分かりました。
ここに30年ほど住む旦那氏でさえも、こんなに大変だとは思っておらず。おそらく途中でシステムが変わったのかな?
今回の出来事をふまえて、安全・健康第一であることの大切さが身を染みてわかったとともに、いつまでこんな田舎に暮らしていられるのかという現実的な考えも浮かんできたのでした。