ナイーブなMEは兼業農家

西オーストラリア州南部で建築とヤギ飼いの兼業農家。自給自足の生活を目指します!

今だからこそ読み返されるべき谷川俊太郎のあの詩の名前が思い出せない。知っている人は教えてください!


スポンサードリンク

こんにちは☀

西オーストラリア州で兼業農家をしております、ナイーブMEです👩‍🌾

 

先日、ある記事を読んでいてふと思い出したある教え子のこと。

なんの記事だったか思い出せないのですが、たしか『固定概念に囚われたくない!』みたいな内容でした。

その記事と教え子の共通点は、谷川俊太郎さんのある詩にあると思っています。

 

谷川俊太郎さんのある詩

その教え子はとても感性が豊かな控えめな子でした。低学年なのにどこか大人っぽいところもあり、学力優秀で次はこう行動するかなと思えばトリッキーなところもある不思議な子。

この子にはきょうだいがいて上の子の担任もしたことがあり、またご両親はとても気さくな方だったので色々お話する機会がありました。

ある日、その教え子のお母さんが子どもの名前の由来は谷川俊太郎さんのある詩からだということを教えてくれました。

さっそく仕事帰りに図書館に寄って、その詩を読んで、なるほど!と唸ったことを覚えているのですが、その詩のタイトルがどうやっても思い出せません。

ネットでどう検索しても見つかりません。

とっても面白い詩なので、みなさんとシェアしたいのに思い出せません。

もし知っている方いましたら教えてください。

 

その詩の内容は以下になります。

f:id:kengyonouka:20200312171038j:image

  • お皿がお皿であることに嫌気がさしていた。
  • ある日、割れてしまいゴミとなった。
  • ゴミとなったことで、ゴミ処理場や海などの知らない世界を見ることができた。
  • お皿はお皿でい続ける必要がない。

こんな内容です!

これを読み終えた後に、この子のトリッキーさの理由が少し分かったような気がしました。そして、このご家族はアーティストな感じで開放的だったのですが、それを納得させるものでした。

 

この詩のタイトル、贅沢を言うならば全文の載っているサイトを知っている方いましたらぜひ教えていただきたいです。

私の記憶によれば、この詩は今の時代に読み返されるべきものだと思っています🙂