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アンザック・デイ ~オーストラリアへ行く前に知っておくべきこと~


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こんにちは☀︎

西オーストラリア州で兼業農家をしております、ナイーブMEです👩‍🌾

 

日本では大型連休目の前ですね!

きっとオーストラリアへ旅行する人も多いのではないのでしょうか?!

是非ともオーストラリアに来る前に知っておいて欲しいことがあります。

 

先日4月25日は、オーストラリア全土の祝日

ANZAC day (アンザック・デイ)

でした。

オーストラリアの祝日は州によって違ったり、日本同様ハッピーマンデーが多いですが、アンザック・デイは曜日に関係なく全土で4月25日と決まっています。

それほどオーストラリアにとって大事な日であり、また私の経験より日本人としてこの日にまつわることを知っておくべきだと思い、ブログに書くことにしました。

 

ANZAC day ( アンザック・デイ) とは

Googleで調べるとたくさんの情報がでてきますが、ここはあえてWikipediaから抜粋。

毎年4月25日、第一次世界大戦のガリポリの戦いで勇敢に戦ったオーストラリア・ニュージーランド軍団(ANZAC)の兵たちと、当時国の為に尽力した人々のために追悼を行う。

1969年に記念日が設立した。1915年4月25日にANZAC軍がトルコのガリポリに上陸したことに由来する。

ANZACは、Australia and New Zealand Army Corps.の略で、ガリポリの戦いに参加した兵士達はANZACsと呼ばれ1916年に正式に4月25日がANZAC Dayとされるようになった。

ANZAC DAYは第二次世界大戦後、ガリポリの戦いに参加した兵士だけでなく、戦争に参加した全てのオーストラリア兵のための記念日に変わっていった。

 

Wikipedia ANZACの日 - Wikipediaより抜粋

要約すると、第一次世界大戦中のガリポリの戦いで亡くなったオーストラリア・ニュージーランド連合軍や大戦で亡くなった人々のための追悼日です。

本来ならば、ガリポリの戦いや第一次世界大戦にまつわる追悼日なのですが、当時を経験した人が高齢になり減ってきたため、第二次世界大戦やベトナム戦争などを含めた戦争全般に対する追悼日になっているのが現状です。

 

私の知る限りでは、どんな小さな町にも『Lest we forget』(訳: 忘れない)と刻まれたANZACの碑があり、その碑の元で毎年4月25日の夜明け前(朝4:45頃)Dawn service、昼前にパレードや楽器の演奏などの式典があります。

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戦時中のオーストラリアと日本の関係

恥ずかしながら、高校では理系かつ体育大学出身のナイーブMEは歴史に相当疎いです。今から書く、『戦時中のオーストラリアと日本の関係』はオーストラリアに来るまで知りませんでした。

 

第一次世界大戦中、オーストラリアと日本は同じ連合軍でした。実際にガリポリの戦いでは、オーストラリア軍がガリポリに上陸する際に、日本軍が援護しています。

しかし、第二次世界大戦でドイツ軍側についた日本は、オーストラリアとは敵関係です。

しかも、

日本はオーストラリア本土に空爆した唯一の国です。

オーストラリアにとって、日本は憎むべき敵国なのです。

空襲について詳しく知りたい方は、日本のオーストラリア空襲 - Wikipediaを参考にしてください。

事実、旦那氏のお祖父さんが乗っていた船がダーウィン沖で日本軍の空爆を受け、死にかけたそうです。

また、日本人の捕虜になったオーストラリア人(だけではありませんが)に対する扱いが酷かったことも忘れてはなりません。

 

オーストラリア人の反日感情

かなり大雑把に歴史的事実を説明しましたが、私はこれを知らずにオーストラリアへ来ることで、いろいろ衝撃を受けました。

 

ANZAC追悼式への忠告

ファームステイ1件目の到着翌日がアンザック・デイでした。ホスト夫妻の奥さんが小学校の先生で、アンザック・デイのタウンイベントに業務の一環として参加しなければならないので、興味があるならば私たちヘルパーを連れて行ってくれるとのことでした。

ただし、行く前に条件がありました。

フランス人のかなりチャラい感じの彼には、作業着のような格好とヘラヘラした態度、喫煙は厳禁。

そして、新人の私には、

『今でも日本人を恨んでいる人がいる事実は分かってるよね?無いとは思うけど、誰かが日本人であるあなたの事を悪く言うかもしれない可能性があることは理解しておいて。写真撮るのも控えた方がいいよ。それでもいいなら、連れて行ってあげる。』

と、無知な私を怖がらせました。

その晩にGoogleで歴史的背景について調べ、初めて知ることが多くありました。

実際の追悼式では、特に何かを言われたり、白い目で見られたりはしませんでしたが、あのホストからの忠告がなければ、のんきに写真を撮っている日本人として違った結果になったかもしれません。

実際、オーストラリアに到着した2015年4月21日の何も知らない当時の私は、降りたったブリスベンの街が『ANZAC』の文字のポスターと何やら大イベントがある感じにただワクワクしていました。

 

日本車には絶対に乗らない

同じくファームステイ1件目のホストの話ですが、彼女のお父さんは日本車には絶対に乗らないそうです。

なぜなら、彼女のお祖父さんは戦争中の日本軍の捕虜になって大変な思いをしたからだそうです。その息子であるホストの父は反日感情があり、できるだけ日本製品を避け、特に日本車は絶対に受け付けないようです。

 

日本には行きたくない

『私は旅行が好きで日本にも興味はあるけど、父が乗っている船に爆弾を落とした日本には行きたくないの。』

これは、旦那氏の叔母さん(お母さんの妹)に言われました。

上にも書きましたよう、旦那氏のお祖父さんが日本軍の空爆により死にかけました。もし、お祖父さんがこの空爆によって亡くなっていたら、旦那氏はこの世に存在しないわけです。

旦那氏のお母さんが生前このことについて私に言及したことはありませんが、本当は何か思っていたのかもしれません。

 

日本人として知っておくべきこと

これらは私の経験ですが、ネット上にはANZAC追悼式で生卵を投げつけられた、罵声を浴びせられた、だからアンザック・デイは外出を避けるべきなどありますが、まずはこの歴史的事実を知ることが大事だと思います。

私の勝手な想像ですが、きっと何かしらの非難に遭った人は、歴史的事実の重さを知らずにいたのではないのでしょうか。そして、非難をした人もまた、事実の全体が見えていなかったのではないかと思います。

もしヒロシマやナガサキの原爆投下の式典でアメリカ人が、9.11の追悼式でイスラムがヘラヘラしていたらいい気がしませんよね。その人たちが爆弾を落としたり、テロをした訳でもないですが、歴史的事実の重さを知っていれば取るべき態度が分かるはずです。

オーストラリアに来た当初の私はまさに無知で、ANZACの意味を知らずにただイベントがあることにワクワクしていたナイーブな日本人でした。きっとカメラを向けまくって、なんなら軍服の人と一緒に写真を撮るお願いをしていたかもしれません。

別にオーストラリアを空爆したことを恐縮すべきと言っているのではありません。私たち日本も戦争によって多くの犠牲をはらいました。

ただ、日本は唯一原爆を落とされた国としての被害感が強調されてきた傾向があるのは事実です。しかし、加害者でもあったことを忘れてはいけません。特に加害国へ行く際は、それを知っておくべきだと思います。

 

誰が良いとか悪いとかではなく、戦争自体があってはならないのです。

アンザック・デイはそんな戦争で犠牲になった人やその家族・友人に対する追悼日であり、そんな犠牲になった人達のおかげで自分たちの今があること、また戦争が何も生み出さないただの悲劇であることを犠牲になった人を通して『Lest we forget ~忘れない~』と誓う日でもあると私は解釈しています。

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オーストラリアに来てから日本人軍にまつわる映画をいくつか見て、その描かれ方にショックを受けました。旦那氏と二人きりで観ていても、一人で気まずさを感じてしまうほどです。しかし、それらの映画は事実に基づいたものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

まとめ

フレンドリーで親日家の多い国、オーストラリアと言われていますが、戦争中には日本と敵国だったのです。しかも、日本はオーストラリア本土を空爆した唯一の国です。

被害を負ったオーストラリア国民はもちろんのように知っている歴史的事実を、加害者である日本側がその事実を知らないのはフェアではないと思いました。もし立場が逆だったらと考えると分かると思います。

歴史をきちんと学んだ人からすれば、何を今更という感じかもしれませんが、私は歴史的事実を知らずにオーストラリアへ来てしまいました。ホストの忠告がなれけば無神経な行動をとり、多くの人の気持ちを傷つけていたかもしれません。

オーストラリアには『マイトシップ』と呼ばれる友好関係精神が根付いています。困った人を必ず助ける寛大な心を持つことが基本精神なのです。(マイトシップについても、Wikipediaがあってびっくり!→マイトシップ - Wikipedia

 

真面目に長くなりましたが、単純にオーストラリア人はフレンドリーで親日家と思い込むのではなく、オーストラリアと日本にはそんな関係があったことを、もっと多くの人に知ってもらいたくて記事にしました。

私の知らない歴史的事実は山のようにあるはずです。まずは、日本が関わったところから学び直していきたいと思います。