ナイーブなMEは兼業農家

西オーストラリア州南部で建築とヤギ飼いの兼業農家。自給自足の生活を目指します!

平成のうちに消えた学校アイテム


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今週のお題「平成を振り返る」

 

こんにちは☀︎

西オーストラリア州で兼業農家をしております、ナイーブMEです👩‍🌾

 

もうすぐ平成も終わるんですね。そしてGWの始まり。

オーストラリアに住んでいると、全くそんな気がしません💦むしろ、今週までがスクールホリデーなので、ホリデーの最終追い込みのような雰囲気を醸し出している人が多い西オーストラリア州です。

 

今週のお題として私の平成を振り返りましたが、現在30代後半グループの私にとっての平成のほぼ全てが『学校生活』であることに気付きました。

小中高大で16年間、通信大学1年間、教員生活7年間の合計24年間は学生・教師として学校に携わっていました。

学校教育に対して書き出したらキリがないので、先日座布団カバーを作っていた時にふと思い出した『あんなにみんなが愛用していた(持つことが義務だった)のに、今では見なくなった"学校アイテム"』について書こうと思います。

おそらく地域差があるとは思いますが、私が書くのは大阪についてです。

 

防災頭巾

これ、まさに座布団カバーを縫っているときに思い出したものです!f:id:kengyonouka:20190424123327j:image

座布団と防災頭巾が一人二役するアイテム。座布団が開いて、頭に被せられるようになっています。

特殊なものなので手作りが基本でしたが、全ての家庭が裁縫をするわけではないので、市販の座布団を頭に乗せている子もいました。

子どもの頃は、誰の座布団が一番臭いとか話していたような。。。

私が教師になったときには、座布団を持っている子もいましたがマストアイテムではなく、避難訓練時には、教科書を頭に被せて避難していました。

しかし、現在も活用している地域もあるようで、防災頭巾座布団の作り方を見つけました↓↓↓

ざぶとん兼防災頭巾の作り方レシピ

たしかに、災害の多い今こそ必需品ですよね!

 

パン袋

給食の残りのパンを持ち帰るための袋。

ランドセルの横のフックにぶら下げていた小さな巾着。その中にはビニル袋が常備されていました。イメージとしたら、こんな感じ↓↓↓

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給食時間の終わりに先生が『食べきれなかったパンはパン袋へ入れなさい。』と言ったら、私たちは教室の後のランドセル棚へ向かい、食べかけのパンをパン袋へ入れたのを覚えています。

クラスには必ず1人か2人、食べかけのパンを机の中に隠す子がいて、学期末の大掃除にカチカチのパンが机から出てくるというのも定番でしたね。

私が教師になったときには、給食のお持ち帰りは衛生面上厳禁でした。昔は休んだ子の家に、連絡帳とパンや牛乳、ゼリーなど届けていたのになー

 

石油ストーブ

 

これは暖かくて最高でした!!

低学年のうちは先生が石油を運んでいましたが、高学年になると日直が運んでいました。2人で協力するものの、重たいわ、ちょっとこぼしたら臭いわで大変でした。

ストーブの上で消しゴムを焼く子もクラスに必ずいたな。。。あれは臭かった!

私の教師一年目は、昔と同じデザインのガスストーブでした。これまた暖かいし、石油いらずなので便利でした。ただ、子どもたちを均等に温めるというのが難しかったですが💦

二年目には校舎全体が大掛かりな耐震工事をし、それと同時にエアコンになり、全然暖かくならなくて私は嫌でした。扇風機がクーラーになったのは良かったですが✌

 

油引き

床が木だったので、学期末にはクラスみんなで油引きという名のワックスかけをしました。

どぎついオレンジ色をしたドロドロのワックスは臭いがきつくて、服に付いたら洗ってもなかなか落ちないという。

これを先生が床にぶちまけて、子どもたちはビニル袋を被せた両手で、雑巾を使って床に刷り込むという大変な作業でした。でも、何だか特別な行事感があって、子ども時分にはわくわくしたのを覚えています。

私の務めた学校の床は木ではなかったので、油引きはしていません。木だとしても、きっと今の時代に子どもにそんなことさせたら親からクレームが来るのでやらせないはず。

 

ブルマ

女子の体操服の下のやつ↓↓↓

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体型が強調され過ぎるとのことで学校現場から消えましたよね。私が小学校の頃は女子はブルマで、中学からは短パンだったと思います。

思春期前だったのでブルマに対する抵抗心はなかったのですが、気になるのがはみパン!!ブルマの端からパンツがはみ出て見える状態のことです。

『〇〇ちゃん、はみパンしてる!』と指摘し合っては、キャーキャー言っていた思い出があります。

 

 

石鹸網

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これは、教師三年目の頃かに廃止されました。やはり衛生面の問題です。

そして石鹸網からポンプ式の薬用ハンドソープに代わりましたが、消耗早すぎ、ポンプがすぐ壊れるという。

しかし、我が家は実践中!ある日、友達のワンちゃんの家で石鹸網を見かけた旦那氏が『Brilliant!! (賢い!)』と絶賛したためです。(上の写真は我が家のです)

 

 

ざっと思い出せるのはこんなものでしょうか。

私が最後に教師をしていたのは今から4年前なので、それから更に変化しているかもしれません。

 

私の平成は、学校へ通いだし、思春期を経て、親元を離れ大学へ、社会へ、そして世界へ出ていったという人生の変化の時代でした。

オーストラリアに住んでいる限りは『令和』を意識することはほぼないでしょうが、日本の新たな時代に幸あれ!!と願います。

 

 

元教師として他の学校ネタも書いています↓↓↓

 

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