ナイーブなMEは兼業農家

西オーストラリア州南部で建築とヤギ飼いの兼業農家。自給自足の生活を目指します!

私が英語を学び始めた理由


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西オーストラリア州の片田舎で、兼業農家をしておりますナイーブMEです👩‍🌾

 

私は2度のワーホリ経験があり、2度目のワーホリ中にオーストラリアで出会った旦那氏と国際結婚し、そのままオーストラリアに住み続けています(笑)

もちろん不法滞在じゃありませんよ!

ビザはありますよ!

 

私の初めてのワーホリは2012年のカナダ。

カナダへ出発する8ヶ月前はワーホリの“ワの字”も知りませんでした。

ワーホリの存在を知る1ヶ月前には、英語なんて全く興味なし。

当時、小学校で教員をしていた私は外国語教育の導入に反対しているほどでした。

 

そんな私がなぜワーホリに行ってまで英語を学びたいと思ったのか。

それは、2011年に行った人生初海外旅行のウガンダ旅行がきっかけでした。

 

 

それまでの私は、海外旅行なんて一切興味なし。

家族が海外旅行行くと言っても、犬と留守番してるわーという感じ。

そんなわざわざ海外まで行かんでも、日本に良い景色あるし、美味しいものあるし、ってかまだ日本の知らん場所いっぱいあるしーと思っていました。

 

そんな私に転機が訪れたのが、私の一番古い友達がJICAのメンバーとしてウガンダへ2年間行くことになり、彼女からぜひ遊びに来てと言われたことでした。

 

海外旅行に冷めていた私ですが、アフリカまで行ったらかなり違った経験ができるかもという気持ちが沸いてきました。

 

そして2011年8月に10日間ほど妹と二人でウガンダへ旅行しました。

 

なんせ初海外&英語なんて高校で勉強したのが最後の私にとっては全てがドキドキ!!

乗り換えのドバイ空港では、トイレでゆっくりしすぎて人の流れを見失い、国際線乗り換えのターミナルが見つからず迷子になる始末。しかも深夜だったので、びっくりするほど人がいない・・・

ようやく見つけた警備員さんに

I want to go to Uganda.

(よくも、ドバイ空港内でこんなこと言ったもんだと思います・・・)

と言って通じて、ものすごくうれしかったことが記憶に残っています。

 

ようやく辿り着いたドバイ空港の国際線ターミナル。

エスカレータで登った瞬間見たキラキラしまくったデコレーション、国際色豊かな人々、そして頭にターバン巻いた人や、色鮮やかなアフリカンドレスを着た人などが一気に目に飛び込んできて、自分が海外に来たことをものすごく実感した瞬間が今でも鮮明に覚えています。

 

そして現地ウガンダでは、想像をはるかに超えた景色と人々との交流が待っていました。10日間の滞在では、サファリ観光以外に友達の住んでいる村散策もしました。

私の友達はJICAの現地スタッフとして、貧しい村人の生活を支えるための農業指導をしていたので、かなりディープな生活を見ることができました。

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詳しい写真は、次回にまとめて載せますね。

 

当時の私は、英語のコミュニケーション力ゼロ。高校で勉強したのが最後。そしてこの旅行当時は、高校を卒業して10年以上・・・

 

ウガンダ人はみんな人懐こくて話しかけてきてくれました。彼らは現地語以外に、英語が話せる人がけっこういます。子どもは学校で英語を習っているそうです。

そのため、私に現地語で話しかけてきて通じないことが分かると、英語で話しかけてきてくれました。

しかし、それでもほぼ理解できない私。

 

ホテルやサファリツアー、食事、タクシーの予約など、全て友達が段取りしてくれました。本当に友達が全てしてくれたので、自力でチェックインさえもしていません (笑)

 

自分の英語力の無さに情けなさを感じ、

『もし私が英語を話せたら、この旅行がもっと楽しくなるのに』と思いました。

そして、この思いが

『もし英語が話せたら、、、

 友達がもっと増える

  仕事の幅が広がる

  住む場所の選択肢が広がる』へと変わっていきました。

 

これが、私が英語を学び始めた理由です。

 

このウガンダ旅行帰国から一週間後には、大手英会話教室へ通いだしました。

しかし、私のレベルが低すぎて講師は日本人、生徒はもちろん日本人という環境に私のモチベーションはダウン。しかも週一時間だけの授業料は高いし、これでは時間とお金がもったいない・・・

 

そう思っていた矢先に、友達から『ワーホリ行ってみたら?』と言われました。

当時の私はワーホリの存在を知らなかったので、その後調べ上げ、一気に気持ちが加速していきました。

 

当時小学校の教員をしていた私は身も心も付かれ切っていたので、退職してワーホリに行くことに抵抗は全くありませんでした。

 

ウガンダ旅行から10ヵ月後にはカナダへ渡り、現在は西オーストラリアの片田舎で兼業農家をしています。

 

人生って分からないものですねー